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ペニシリンが見いだされてからは患者数も激減し、恐るるに足らぬ病として世間からも忘れかけられていた梅毒ですが、今頃になって過去の亡霊のように蘇ってきたのです。
ここは今一度「梅毒」を学び直し、正しく恐れ、正しく予防していきましょう。とは言え、堅苦しい話ばかりではつまらないので今回はトリビア的なネタを少々ご紹介します。
梅毒の定義の定番は「梅毒トレポネーマという真正細菌(バクテリア)によっておこる感染症」というものです。「トレポネーマ?保健体育でスピロヘータって習わなかった?」とお思いの方は筆者も含めてそれなりの年齢かもしれません。
スピロヘータとは、そのぐるぐるコイルのような形状(上図参照:巻き髪を意味する)からつけられた名前です。構造が特殊なことから一昔前までは真正細菌とは異なる別の微生物として考えられていましたが、研究によってやはり真正細菌の1グループにすぎないことがわかりました。
つまり、スピロヘータという種類に分類される真正細菌のうち、トレポネーマと呼ばれるもの(のひとつ)が梅毒を引き起こす、というのが正しい認識です。分類学的に言うと「真正細菌スピロヘータ門スピロヘータ綱スピロヘータ目スピロヘータ科トレポネーマ属梅毒トレポネーマ」がこの病原体のフルネーム?なわけです。う〜ん、とってもじゅげむ。
いずれにせよ、こんなグルグル野郎が体の中をのたうったらと考えるだけで気が遠くなりますが、人間の体の外に出されるとあっという間にコロッと死んでしまいます。だからこそ、じとじとした粘膜同士の接触、つまり性交で感染するのです。
梅毒の名前の由来には二つの説があるようです。
梅毒の特有症状である発疹(バラ疹)は、ヤマモモ(楊梅)の果実に似ているところから楊梅瘡(ようばいそう)と言われていたのだそうです。それが「梅毒」に変わったという説が一つ。写真等を見ると確かに似ています。かなり派手な発疹ですから最悪でもこのあたりで大抵の方は病院に駆け込んで治療となるわけです。
もう一つは、もともとは「黴毒」であったものが「黴」の字が常用漢字表に含まれていないので、同じ音の「梅」で宛て字されたという説です。「黴」は音読みでバイ菌のバイ、訓読みでカビです。最近はどちらもカタカナで書くのが主流ですから、もしこれが事実なら「バイ毒」となっでもおかしくはなかったということですね。
いずれにしても日本で2月に愛でる、かぐわしいあの梅とは無関係のようです。
梅毒のことを英語ではSyphilis(シフィリス)といいます。なんだかRPGゲームキャラの名前みたいですが、実際人の名前で、16世紀のラテン語詩に出てくる天罰でこの病気になった羊飼いの名前からきているそうです。でも、天罰では梅毒になりませんから、念のため。
梅毒の起源については、コロンブスがアメリカ大陸からヨーロッパに持ち帰ったなど諸説ありますが、15世紀末にフランス軍がイタリアに侵攻した時にはナポリで大流行が起こりました。そのせいでフランス人からは「ナポリ病」、イタリア人からは「フランス病」と呼ばれたそうです。 戦争と売春は切り離せないとはいえ、その感染経路の後ろめたさもあってよその国にせいにしたくなる気持ちはわからなくもありませんね。
こうして戦争が起こる度に梅毒は人につれられてあちこちに広がっていきました。戦争で一番版図を拡大したのは梅毒トレポネーマだったのかもしれません。
退廃的なものと親和性のある芸術界では(異論があるかもしれませんが)、梅毒は大変ポピュラーな病気でした。かなりの名士もその毒牙にかかっています。
日本でも時代劇の吉原ものなどには必ずといっていい程、脳梅毒で正気を失ったあわれな遊女が出てきますが、ペニシリンが発見される以前は一旦かかると病気の進行に身を任せるしかない死に至る恐ろしい病で、しかも非常に身近なものだったのです。
17世紀のイギリスに実在した詩人、ジョン・ウィルモット伯の生涯を描いた2004年のイギリス映画『リバティーン』(The Libertine「放蕩者」の意味)では、快楽に溺れて梅毒にかかり33歳で夭逝した主人公をジョニー・デップが演じていましたが、金属の「つけ鼻」をした末期梅毒メイクはなかなかえげつないものでした。ご興味のある方はご覧になってください。
しかしながら、題材にするのもはばかられる程の恐怖心からか、はたまた最後があまりにも劇的というか悲惨で絵になりにくいからなのか、悲劇のヒロインの死亡原因ではやはり結核に大きく水をあけられているようです。
梅毒は人間の根本的な欲望に乗じ、しかも出たりひっこんだりしながらじわじわ宿主を増やしてくなんともいやらしいヤツです。おそらく人類滅亡の日までなくならないと思います。ここでご紹介したようなちょっとした鼻高ネタを話題にでもして、梅毒という性感染症があることを覚えていていただければ、わずかながらでも予防になるかもしれません。